余計な苦労をかってでる

好きなことやそうでないことを無茶苦茶書いてます。

マナー以前の「汚食」事件

夫婦げんかは犬も食わないという
なんだか犬に失礼な気もする。まぁ僕は飼ったことがないからわからないけれど。
自分の両親が言い争いをしてるのを良く見てきた。
物心ついた時からそうだ。
10代のころは口をはさむことも多かったが、今はもう、諦観している・
それも気持ちのいい意味ではなく、まさしく、あきらめといった心境に近い。
どうしようもないものに対するやるせなさとか、ばかばかしさ、むなしさを感じる。
どちらかがおれれば済む話なのに、どちらも譲らない。どんどん喧しくなっていく。
怒りが、根本的な原因が分からないがお互いへの怒りが、あふれかえっていく。
ちなみに今日怒っていたのは、僕の分のおかず、あぶらあげだ、を親父が、しらないまま食べてしまい、母親が怒るというものだ。親父は先に言えと怒るし母親はそもそも親父が魚も焼くと言ったのに焼きものばかり食べたくないとごねるのが悪いとガミガミさけぶ。僕はなすの味噌汁をすすりながら、また、かぶの漬物とごはん、さばの塩焼き、(ほんとはここにあぶらあげが入る予定であったそうだ)をもぐもぐしながら、僕はあぶらあげがあってもなくてもいいし、そんなのいつでも食べれるやんと小さくぼやく。しかし言い合いは止まらず、結局20分程の食事のあいだ僕はすごく参りながら食事をするはめになった。
孤独のグルメにあるように、食事は誰にも邪魔されず静かで、かつ豊かであるのが望ましい。さびしさもあるが、ご飯とともにそれをかみしめながら食べるのはいいものだ。
誰かと食べるのももちろん、悪いことではない。というより、望ましい。
誰かと食べつつも、邪魔をされずに静かに食べることができれば、これにこしたことはないだろう。たあいもない話をしながらも、どこか沈黙のある食卓。その沈黙が緊張感を生む。いい意味での緊張感があるほうが、食事はおいしい。大人数で騒ぎながら食べたり、浴びるほど酒を飲みつつする食事は緊張感がなさすぎる。かといって毎晩高級レストランにいくのも、味うんぬん以前に肩がこる。ちょうどいい雰囲気で、ちょうどいい食事をとることがもっとも望ましい。
そういった面から見ると、今日のご飯は最低だった。
まず両親がとなりで喧嘩している。これはどんな高級レストランで食事をするよりも肩がこるだろう。しかも内容がくだらなく、むなしくなる。つまり緊張もなにもなくなり、どうでもよくなってしまう。悪いとこしかないのだ。
せっかく味付けが良くても、雰囲気がわるいと大なしである。
夫婦喧嘩は犬も食わない。当然だろう。たとえ犬だって、食事をする時くらい落ち着いて豊かに過ごしたいはずだ。味をとやかく言う前に、もっと見直すべきところがあるとおもうよ。ほんと。