アホ「これが天職や!プロフェッショナルになるんや!」→3か月後 アホ「俺には無理やわ。途中まで頑張ったけど、結局中途半端で諦めた。」 何故なのか。
一方の普通の人
「楽しくやろっと」→3か月後 「なんか趣味仲間も増えて充実してきた!いい感じ」
何で何でしょうね。
人が持つ、「プロでなきゃ!」症候群についてと、その対策
そもそも、プロフェッショナルである必要なんて、あまりない。
物事を始めるとき、僕はまず完璧を目指す。
プロフェッショナルになろうと考える。生半可にやるのではなく、極めようと考える。
そう考えること自体は、決して悪いことではない。その姿勢は、誰もが評価するだろう。
しかしそれは、「続けば」の話である。
こんな話がある。
ある有名ボクシングジムのトレーナーに、記者がインタビューした時のことだ。
「きっとここに来る子のほとんどが、プロを目指してくるんでしょうね」と記者は聞いた。
「ああ。」トレーナーは答えた。「でも、絶対プロになります!って言う奴の、90%は3カ月でやめるんだけどね」
記者は意外に思い「ではどのような子が残るのですか?」と聞くと
「趣味だね。ボクシングのプロになりたいって理由でボクシングを始めるやつはだめだ。趣味で、好きでボクシングをやってるって言えるやつが、結果的にプロになるんだ」
と話したという。
ここに、僕がいいたいことの全てが詰まっている。
なぜ、人は極めようとするのか。そして、何故それゆえに失敗するのか。どうして趣味で、あまり志を高く持たない人のほうが、結果としてうまくいくのか。
このあたりについて考えていきたい。
①プロになろうとする人の思考
そもそもプロになることに、メリットはあるのだろうか。
考えても見てほしい。その道のプロと言われるまでには、およそ10000時間の修練をつまないといけないとされている。そのために、どれだけのものを犠牲にしなければならないのか、少し考えればわかる。
友人と遊びに行ったり、恋人とデートをしたり、などもあまり出来ない。他に趣味を作るなんてもってのほかだろう。そのようなことをしていては時間が足りない。なにせ、1日3時間そのことに没頭しても、10年はかかってしまうのだから。
それほどまでに他のことを犠牲にして得られるメリットなど、どこにあるのか。
僕には、名誉欲に似た物が欲しいからとしか思えない。
ここで誤解しないでほしいのは、あくまでも、いきなり「プロになろう!」と考えた人が、陥りがちな考えのことである。すでにプロの人が、名誉欲だけでやっているのではないと書いておく。
少し痛烈なことを書くと、突然、例えば20歳になるまで全くやったことがなかった分野でプロを目指そう!と考えてしまう人は、大抵そのほかの分野で、なんらかの形で挫折してしまった人である。勉強や仕事が上手くいかないからって、イラストレーターのプロを目指そうとか、声優を目指そうとか、プロカメラマンを目指そうとか、売れっ子ホストを目指そうとか、伝統派武術の跡取りを目指そうとか、神主をめざそうとか、そういう人達であり(僕のことです)
これらのこと、特にクリエイティブ関係のことにいきなり飛びこんでいく人というのは、往々にして人に認められたいという欲求が強い。普通の人よりも、である。愚かな人と言うのは、いつでも9回裏2アウト満塁ホームランにすがってしまうものなのだろう。
なにかで失敗してしまったから、別の分野で成功しよう!絶対トップを取ろう!自分なら出来る!
このように考えてしまうと、以下のような悪いループにとらわれてしまう。
1 自分にはこれが向いている!これを極めようと思い立つ。
2 書籍やセミナーなどに通う。周囲に自分のやる気をアピールする。
3 壁にぶつかる。どれだけその世界のプロが本気でやっているかを知る。
4 自分と比較し、あんな風にはなれそうにもないと勝手に決め付ける。
5 別の分野に目をつける
「自分にはなにか才能が眠っていてそれを掘り起こせばなんらかの分野のトップを取ることが出来る。そうすれば名誉も得られるし、自分の名誉欲も満たされるぜ!」症候群、まあ通称中2病をひどくこじらせるとこのようになってしまう。
こういった人たちは、「若い時は何でもいろいろ挑戦しろ!」という言葉を、逃避に使っているのである。「俺は経験を積んでいる」というが、それは経験ではなくいろいろなところに顔を突っ込んでいるだけで、得られるものはあまりないのだということに気づいていないのだ。いや、気付いていてももう止められないのだ。
これは喜劇だと僕は思う。なぜか。一歩先に踏み込めばより充実した生活を送れるのに、その寸前で踏みとどまっているからである。笑えるではないか。
おそらく、すべての原因は「逃げ癖」である。
一度逃げ出したことのある人間が次に立ち向かうことは、以前の何倍も難しい。
「今日逃げたら明日はもっと大きな勇気が必要になるぞ」
②プロになろうとする人と、プロになる人の違い
ではプロになる人はどのような人なのか。
巷ではよくプロには様々な条件があると言われる。
例えば、以下の5つだ。
①他に抜きん出て、「なるほど」と納得させるものがある。
②誰よりもその道を極めようと、厳しい努力、精進をする。(そしてそれを苦労と考えていない。)
③素人を感激、感動させることができる。
④自ら、「行き詰まり・スランプ」を自覚し、その克服に挑戦する。
⑤ファンがいる。
このようなことが常に出来ている人は、なるほど、確かにプロフェッショナルといえるだろう。まさに僕のようなアマチュアが考える理想のプロフェッショナル像だ。
けれど、それよりも大前提がある。絶対に外せない、前段階が存在する。
それが「それをやっていて、楽しいか?」である。時間を忘れて熱中できるか、それのために時間をかけても惜しくないか、どれだけ投資できるか、その点である。
「なんとなくプロになりたい!」という人は大抵、その物事がそれほど好きではない。多くの場合は、惰性でやっているにすぎない。
確かに始めたばかりは楽しい。恋愛と一緒だ。最初の3か月は楽しくて楽しくて仕方がないだろう。何でも知りたいし、それに関わることであればどんなことでもワクワクして出来る。毎日が楽しい。こんな感じになる。
けれど、ある日を境にふっと、前ほど情熱的にならなくなる。なにを自分はこんなに頑張っていたのだろうかと、冷静になる。そして、こんなの時間とお金の無駄だor自分にはもっと向いていることがあるといって、やめてしまう。結果、その業界に存在する本当に楽しい部分を知らないままに、終わってしまう。
対して「プロフェッショナルになる」人は、最初からそれほど情熱的に取り組むことはない。そもそも好きなのだから、やるのが当たり前である。周りからみればものすごく努力しているように見られたり、「プロなりたい!」と考えている人からはライバル視されたりもするが、本人は全く苦と考えていない人が多い。あくまで淡々と、でもしつこくやっている人は好きでやっているのである。
ゆえに、プロになる人は、一見ではそれほど目立たないことが多い。余り壮大なことは言わずに、ひたすらコツコツと積み上げる特徴がある。人の見ていないところでも手を抜かないのもその特徴の一つだろう。なにせ、好きでやっているのだから、手を抜く必要がないのだ。
逆に「プロになりたい!」人は目立ちたがり屋が多い。彼らは何かから逃亡した結果、何かのプロを目指していることが多いので、常に自分は本気なのだというアピールをしないと生きていけないのだ。しかし、人の目がないところではまるで努力をしないのが常である。それが5年、10年たったとき、大きな差として見えてくる。もっともプロになりたい人が、5年も続けている可能性はまれであるが。
③それでもプロになりたい「元逃亡者」たちへ
これまで、両者にどれだけ大きな差があるのか、いかにプロになりたいという口だけの人が滑稽であるかを述べてきた。
しかし、それでもプロになりたい。何かの道を極めたいと思う人はいる。そう僕である。
そのために、考えうる最善を書いてみよう。
A その物事を好きになる
先にも話したが、大前提である。ここを押さえない限り、プロになるのは難しい。好きでもないことを、好きで好きでたまらない人と同じモチベーションで行うのは、ほとんど不可能に近い。勿論、別に好きでなくても、食べていく程度には稼ぐことが出来るのかもしれない。よく、「それで飯を食っていけたらプロ」というからだ。でも僕は、嫌々やっている人をプロだとは呼びたくない。それに何よりも、疲れてしまうだろう。ロビン・シャーマが、著書でこう書いているのを引用すると
「好きでもないことで成功するのが、人生で一番不幸です」
B 真似をする
何故か判らないが、失敗する人に限って模倣を馬鹿にしがちである。例えあなたに無限のアイデアが備わっていても、それを生かす方法を知らなければまったくの無意味だ。まずは、すでにプロフェッショナルの人のまねをしよう。それから、創造をしていくのだ。
そもそも創造というものには種類が2つある。
①一次的創造
②二次的創造
である。簡単にいうと一次的創造は無から有を生み出す行為。そして二次的創造は有から有を生み出す行為である。
ちなみに現代において、①が生まれる可能性は極めて低いだろう。それこそタイムマシンやワープ技術なんでもない限り、認められないだろう。あの稀代のイノベーターであるジョブズさえ、過去のデータはもちろん、他人のアイデアまでパクリにパクッていたというのは有名な話である。
偉人でさえそうなのである。さて、あなたは偉人だろうか。
残念ながらこの文章を読んでいる時点で違うだろう。なぜなら、彼らはこんなつまらない文章、最初の3行で読むのをやめて、自分のしたいこと、をするからだ。そして、それが故のプロなのである。
C 何かを捨てる
あなたの机の周りには何が置いてあるだろうか。
きっと無駄なものばかり置いてあるだろう。少なくとも、整然とした部屋ではないはずだ。
しかし、僕はあえて、部屋を綺麗にするよう強制はしない。仕事がはかどり、アイデアが浮かぶ場所というのは、人それぞれだからである。
ただ、何かを捨ててほしいと思う。それは「物」か「行動」、もしくは両方である。
「物」はいうまでもない、あなたの部屋にある不必要なものである。全く使わないものが置いてあるのは、空間の無駄だし、思考の妨げにもなる。即刻捨てたほうがいい。逆に仕事に必要でなくても、これがあると落ち着く、はかどる、アイデアが湧くといったものは、ぜひ残しておくべきだ。
そして「行動」は、あなたの人生を形作っている最も大きなものだ。仮にもプロを目指すならば、それの妨げになるような行動は慎まなければならない。夜更かし、暴飲暴食、テレビをだらだら見る、ベッドでごろごろする、こういった行為は時間の無駄であり、プロを目指す人がしていいものではない。
ただ、一つだけ注意してほしいのは、この捨てるという行為は、自発的にやらねばならないということだ。つまり、まずはAの、「好きになる」という項目から始めてほしい。好きで好きで仕方がなくなれば、それ以外のことをしている時間がもったいなくなる。
そしてその結果、何かを捨てて無駄を減らそうという考えに落ち着く。こが一番理想的だと僕は思う。そうでなければ、あなたの心はひたすらストレスを抱えてしまうだろう。好きなこととは、何かを我慢して行うものではないのだから。
D やり通す
もう、いうまでもないことだろう。というよりも、いかにしてやり通すかを書いてきたのだから。もし、目標の立て方が気になるのであれば本屋にいけばよい。それっぽい本がたくさん売っている.
④おわりに
ずいぶんと辛辣な意見を述べてきたが、これらがもう二度とブーメランとして帰ってこないようにしたい。とにかく、「好きこそものの上手なれ」「継続は力なり」なのだろう。